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2005年1月17日 (月)

10年

その時、私は妙な蒸し暑さを感じて目覚めたところでした。

突然、大きな音が聞こえる同時にカタカタカタという揺れ。当時、小さな地震が比較的よく発生していたので、「また、地震かぁ。いややなぁ。」と思った瞬間、これまでに体験したことのない大きな横揺れが襲ってきました。

あまりの怖さに立ち上がることは出来ませんでした。揺れは30秒ぐらい続いたような気がしましたが、実際にはそんなに長く揺れていなかったのでしょう。

そう、今日1月17日で発生から丸10年が経った阪神淡路大震災の瞬間です。私は被災者ではないですが、地震の悲惨さを僅かではあるものの体験した一人です。

揺れが収まって、テレビで地震を確認しようと思うと、テレビがない・・・。その冬のボーナスで買ったばかりのテレビが見事に床の上に転がっていました。「あぁ、どうしよう。まだ買(こ)うたばっかりやのに。」と、その時はまだ起こっている大惨事に気付くことなく呑気なことを考えていました。

テレビをつけると、音声は聞こえるが、映像が映っていない。放送局も停電で映像が送れなかったのです。朝5:45から始まるニュース・天気予報番組でアシスタントの若い女の子の悲鳴が聞こえてきます。その一方で確か、鳥木アナウンサー(朝日放送アナウンサー)という女の人が冷静で大きな声で、「ガスを消して下さい、津波に注して下さい。」と叫んでいます。パニック時でも正確に報道を行う、さすがはプロだと思いました。

NHKに変えると、神戸で震度6の速報(これは後ほどスクープとなった)。しかし、その後伝えられてくる情報は、「東海地方で大きな地震が発生しました」という意味不明なテロップ。

東海地震に備えて、東海地方の地震観測網しか充実していなかったので、そのような情報しか流れなかったのでしょう。

しばらくすると、震度情報が次々に明らかになってきて、近畿地方が震源だということが分かってきました。奈良は震度4でした。ところが、先程震度6を伝えていた神戸の震度情報が消えているではないですか。

神戸の気象台と連絡が取れなくなったため、震度の確認が取れなくなったのが理由だそうです。当初6と伝えられたのは、NHK神戸放送局の当直者(有名なシーンありますよね)が気象台に電話で聞いたため、6を伝えたそうです。NHKしか流せなかった震度6、そういう意味でスクープというわけです。

その後、次第に明らかになってくる地震の被害。テレビでは我が目を疑いたくなるような光景が伝えられています。とりあえず、近鉄電車は動いているという情報を得て、当時務めていた大阪にある会社へ行くことにしました。

大阪の地下鉄は動いていませんでした。タクシー待ちには長蛇の列。仕方なく、四つ橋筋を30分近く掛けて歩くことにしました。四つ橋筋沿いのビルのガラスも所々で割れています。

会社に到着すると、会社も驚くような景が広がっていました(下の写真)。出勤してきた者たちで被害状況の確認、あとかたずけ、そして社員の安否確認をしました。テレビで報道される、死亡者の数が次々と増えていくことに恐怖心を覚えながら。

神戸方面から通っている社員も多くいましたので、一人一人の自宅に電話掛けるのですが、ほとんど電話はつながりません。呼び出し音は聞こえてくるのに誰も出ないときは本当に心配してしまいました。

全員の安否が確認出来たのは地震発生から数日経ってからでしたが、幸いにも社員には人的な被害を受けた方はいませんでした。ただ、自宅が全壊や半壊した方は何名かいました。

被災者の一人は、「救急車の音が耳から離れず、怖くて仕方ない。」と話していました。

去年も新潟やスマトラ沖で大きな地震が発生しました。地震で体験した辛い思い出は忘れ去っても、地震の恐ろしさ、地震発生時に何をすべきかは忘れてはならないと思います。

あの日、会社の窓から神戸方面を見たとき、いくつもの黒い煙が立ち上っている光景は未だ忘れることが出来ません。

地震発生直後に私が体験したことを書いてみました。

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(写真は当時勤務していた会社の社内誌より)

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